作り手になるまでの物語をたっぷりお聞きしました。

今回のインタビューは、葉山在住、ニットデザイナーの渡部まみさん。

渡部さんは、ニットブランドshort fingerとして、オーダーメイドのニット帽を制作するとともに、CA&Co.という上質なカシミアのニットブランドも運営されています。

渡部さんとは移住前に知り合い、展示会でニット帽をオーダーさせていただくなど親しくさせていただいていました。葉山に来てからもご縁が続き、今では家族ぐるみのお付き合い。

どんな時も太陽のような笑顔で、お会いすると必ず元気になれる渡部さんは、私にとってニット作家としてはもちろん、女性としても憧れの存在です。

(聞き手:works and stories 松井咲子/撮影:渡部忠)

1編んでいたいから、売る。

松井
よろしくお願いします。
いまも毎日渡部さんのニット帽を愛用しているのですが、いつから葉山でニット帽を編むことを始めたんですか?
渡部
葉山に暮らし始めて1年後くらいかな。
松井
もともと東京で働いていて、葉山に引っ越しされた1年後ですよね?
渡部
うん。最初に就職したアパレルでニットデザイナーとして働いたあと、服飾専門学校で3年間先生をやって、結婚を機に仕事をやめて主人のいるこの町へ来ました。
いままで、ぼーっとする時間もなかったから、着物教室に通ったり、部屋の隅々まで掃除をしてみたり、パンを焼いてみたり。
でも、友達たちは変わらずバリバリ働いているから、私こんなことしていていいのかな? というのもあって。
うちは主人がずっと自宅で仕事(※デザイン業)をしているから、夕飯を作る時間に帰って来られるアパレルの仕事がないかなって、その頃は横浜近辺の仕事を探して、また外に出て働こうって思ってたりしてました。

松井
時間があるというのも、それはそれで難しかったんでしょうか?
渡部
そうだったのかも(笑)
その時、主人の本棚にたくさんある色んなエッセイ本をすごい読んでいて。それまで人が考えていることを気にするタイプじゃないから、エッセイとか読んだことがなくて。実際に読みだしたら、こんな考え方をしている人がいるんだとか、こんな風にもっと楽に生きていいんだ!と思う文章に出会ったりと、発見があって。どんなことをしてもいいんだと、腑に落ちるときがあったのね。

- 「私こんなことしていいのかな?」という気持ち、とても共感できます。
この時期にしっかり自分と向き合ったことは、その後の活躍の大きな原動力になっているはずです。そんな渡部さんに転機が訪れました。

渡部
そんなとき、仕事をしながら個人で物作りをしている友人が作品を置かせてもらっているお店に、私の作品も一緒に並べてみない? と声をかけてくれて、それでね、ブランドを作ってみようかと思った。
松井
じゃあ、short fingerとしてのニット制作はそこから始まったんですね。
渡部
そう、急ピッチで一気に始めました(笑)
“来る波に乗る“というのが私の信条で。大好きな従妹のお姉ちゃんが昔からいつも言っていて幸せそうだから、私も“来る波に乗る”がいいなと思って。
松井
なるほど~。
渡部
その考え方は若い頃から同じで。10年くらいアパレルでニットデザイナーをしていることも楽しかったけど、服飾専門学校の先生になった友人が講師をやらない? って誘ってくれて、試しに2時間の特別講師をやってみたら、夢いっぱいの生徒たちに触れて「ああ、この情熱を忘れてた」って思って、先生になりました。
この町に移れたのも、結婚が理由だし、short fingerも友達に「やってみない?」と言われて始めたこと。
だから、“来る波に乗ってる”。全部そうですね。
松井
新しいことが舞い込んできたときは、怖い気持ちよりも、楽しそうという気持ちで飛び込むタイプですか?
渡部
基本、すごく臆病で、自分で会社を探して営業に行くとか、そういうことがすごく苦手だから、来てくれたほうがありがたい。呼ばれて行くほうが、ドキドキしなくて済む。昔からずっとそんな感じです。

- “来る波に乗る”。すごくかっこいいし、憧れるけれど、私は波が来ても瞬発力がなく、う~んと考えている間に波が去ってしまう…(笑)それに正直言うと、人生の大きな決断を直観で進めてしまっていいのだろうかという迷いもあります。けれどそこでいちいち悩まずに、ぽーんと波に乗れてしまったら、もっと楽しい世界が開けるのかもしれない。

松井
来る波に乗って後悔する場面はありませんでしたか?
渡部
後悔はないんですよね。
先生をするのも楽しかったし、ブランドを運営する日々も楽しいです。もちろん、主人が働いてくれていて好きにやらせてくれているから、楽しくできているというところがありますが。
松井
今ご主人のお話がでましたが、外に出て働く人生ではなく、専業主婦をやっていてもいいと思われたことはなかったですか?
渡部
専業主婦を、という以前に、この町に移って1年くらいでブランドを急スタートさせた頃は、オーダーの数も少なく、制作時間に余裕があるんですね。
主人と二人だけの時間のある生活の中で、私は何をやってるんだと思うことも多くて。
このままでいいのかな?って思いながら、でも、やりたいこともやれているから……、とブランドを続けていて、主婦業も仕事も中途半端という気持ちでした

- いつも迷いなくまっすぐ前を向いて進んでいるような印象の渡部さんにも、これでいいのかなと迷った時期があったなんて、同じくモヤモヤ期を経験している私はなんだか親近感を覚えます。でもどうやってその気持ちは晴れていったのでしょうか。

渡部
はじめに、自分の気持ちの中で「自立している」と感じられるように、扶養家族から外れる売上を作ろうと思って(笑)
これだけ働いているっていうところが安心材料というか自分の気持ちをフワっとさせない。私は、そういう性格だから。
それで、何年か続けていると売上も上がってきたから、個人事業主になって、中途半端な気持ちから抜け出せたかもしれない。
でも、実は深く考えてるようで悩むのが苦手な人間だから。こうやって質問されるから悩んでたふりをしてるところもあるけどね(笑)

- 悩まないって本当に素晴らしい!悩まず前を向いて進んでいけるのはその人の強さだなと思います。

松井
そうやって一歩を踏み出せるのはどうしてですか。
渡部
結局の所、私はきっと、編んでいられればそれでいいんです。好きな物をずっと編んでいたい。でも、編んでいるだけだと作品がたまっていく。それだと、糸代ばかりかかってお金も無駄になる。
出来上がったものがお客様の手に届けば、どんどん編んでいい、だから売り始める。ずっと編んでいたくて、そのために売るんだと思います、私は。
松井
え~っ、売るために編むんじゃなくて、編んでいたいから売るんだ!
渡部
うん。私はね。

- 編んでいたいから売るという、私にはびっくり仰天なお話をしてくださった渡部さん。もっとお話しを伺いたい!
次回は、来る波に乗って始めたshort fingerがどう変わっていったか、ニット帽が生まれたきっかけなどについてお話をお聞きします。

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この記事に登場の作り手

ポートフォリオ

渡部まみ
都内の服飾専門学校卒業後、イトキン株式会社のニットデザイナー、某服飾専門学校の教職を経て、2007年葉山に移住、2008年ブランドshort finger(ショートフィンガー)を立ち上げ、活動をスタートさせる。
現在は外モンゴルで生産するカシミヤブランドCA&Co.(シーエーアンドコー)と、パタンナーの木地谷良一さんと運営するパターンレーベルTOWN(タウン)としても活動する。

https://short-finger.com/

〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色1490-4
info@short-finger.com

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