3出会いあってこそ。
- 第3回は、代官山に出店されてからのお話をお聞きします。
- 松井
- 代官山への出店、独立は勇気も要るし、不安もありませんでしたか。
- 齊藤
- そうですね。でも、始めればなんとかなるかなっていう気持ちでした。
- 松井
- 代官山にされたのはどうして。
- 齊藤
- そのとき、多く作ってたのが美容師さんのハサミ入れだったので、代官山は美容室も多いですし、原宿・渋谷より落ち着いていて静かかなと思って。
- 松井
- 代官山は正解でしたか。
- 齊藤
- まあ、よかったのかなあ…。二階の細い入口を登っていくところだったので、オープンなスペースっていう感じじゃなくて、入りにくい感じだったのかなと思って。一階の路面店でやっていたら違ってたのかなと思います。今から思うと、集中して作ることはできてもうちに籠った感じになっていたかもしれませんね。
- 松井
- なるほど。では、知っている方のオーダーを受けるかたちだったんですか。
- 齊藤
- ほぼ、オーダーです。
- 松井
- 美容師さんは人によってシザーケースにこだわりがあるものなんですか。
- 齊藤
- ありますね。ハサミの本数もそうですし、コームは何本入れるとか、ハサミの向きはどうだかとか。自分のこだわりっていうのがありますね。
- 松井
- それを一人ずつ聞いて作るんですね。
- 齊藤
- その時は専門的な道具入れを作るのがすごく好きだったので、満足していました。
- 松井
- シザーケース以外はどんなものを作られていたんですか。
- 齊藤
- 一般の方だったらお財布とか、本のカバーとか、ですね。
- 松井
- 代官山にお店を出すと聞いたら、お金もかかるんじゃないかと思いますし、十分に資金を蓄えた上で出されたんですか。
- 齊藤
- (南船橋の)ららぽーとの時にワゴンショップだったので、定額の家賃がそんなにかからなかったんですね。
歩合で払ってはいたんですけど。なので、そこで結構貯めました。
- お台場、南船橋とどんどん新しい活動の場を求めて動き続けながら、堅実に資金を貯めて満を持して代官山に出店された篤さん。さらりとお話されますが、篤さんは努力の人だなと思います。
そんな篤さんの隣でにこにこ微笑んでいる麻紀さん。お二人の出会いについて伺ってみました。
- 松井
- ところで、麻紀さんはいつから登場するんですか。
- 麻紀
- (質問リストを見ながら)
ここだと思います。「代官山での特に思い出深い人との出会い」。ここで私が出てくるんじゃないかなと思っていました(笑)
- 齊藤
- 代官山に出店して何年かしてからお客さんとして(麻紀さんが)来ました。
- 麻紀
- そう、私お客さんだったんです。
- 松井
- へ~!そうやってお付き合いが始まったんですね!
- 穏やかで静かな印象の篤さんに元気で明るい麻紀さんはとてもお似合いのご夫婦です。篤さんの工房で素敵な出会いを果たしたお二人は、代官山時代にご結婚されました。
- 松井
- 麻紀さんもご結婚後に工房に入られたんですか。
- 麻紀
- いいえ、私は作れない作らない。でも作るのを見てるのが好きで。
結婚して仕事も辞めて、子供が生まれて。逗子に引っ越してきました。
- 松井
- それでは、篤さんは逗子のおうちから代官山まで毎日通われていたんですか。
- 齊藤
- そうです。
- 松井
- 何年ぐらい?
- 齊藤
- 15年ぐらい、ずっと通ってました。
- 松井
- その間、麻紀さんは逗子で子育てされていたんですね。
ほぼおひとりで。それも大変でしたね。
- 麻紀
- 逗子・葉山の人はアクティブな人がたくさんいて。物作りとか、仕事をバリバリやってるママさんがいっぱいいて。すごく刺激になりましたね。
篤もさっき言っていましたけど、やっぱり人のめぐりあわせで救われていると思います。
- 齊藤
- 出会いあってこそですね。お台場だってららぽーとだって紹介してもらったわけだし。自分で売り込んだわけではないから。知り合いの知り合いを紹介してもらってって言う感じだったので。
- 麻紀
- (篤さんは)そこが、苦手(笑)「これ見て見て!俺こここだわったから見て!」というよりは、受け身で作ってきたところがあって。それで築けた信頼関係や出会いもあったんですけど、一歩扉を開こうと思ったのが今回の移転でもあって。老体に鞭打って電車で行くっていうのも大変だしって思ってたときに見つけたこの場所(鎌倉)だったんですね。
- 麻紀さんの後押しもあり、昨年、篤さんは15年過ごした代官山を離れ、鎌倉・大町に活動の拠点を移すことに決めました。移転は篤さんにとって大きな転機だったはず。次回は、鎌倉での現在のTSUZUKUの物作りについて伺います。
(つづく)