作り手になるまでの物語をたっぷりお聞きしました。

今回のインタビューは、葉山在住のはんこ作家、norioはんこの江口真希さん。

江口さんは、京都精華大学の日本画学科を卒業後、はんこ作家としてデビュー。以来日本全国各地ではんこオーダー会を開催してきました。
これまでに彫ったはんこの数は2万個以上。対面でお客さんの要望を聞きながら目の前でその人だけのはんこを彫り上げていくスタイルにはファンが多く、オーダー会はいつも大盛況。

私はふらりと入った地元のカフェでたまたま隣の席に座ったことがきっかけで江口さんと知り合い、同じ関西出身だということや、息子と江口さんのお子さんが同じ保育園に通うなど嬉しい偶然が重なって親しくさせていただいてきました。

何度となくはんこをオーダーさせて頂いてきましたが、こちらのイメージをスルスル彫り上げていく奇跡のような職人技に毎回感動!

今日は葉山の小高い丘の上の海の見えるアトリエにて、私の大切な友人であり大好きなはんこ作家である江口さんに、これまでのこと、そしてこれからのことをたくさん伺ってきました。

(聞き手:works and stories 松井咲子/撮影:渡部忠)

4感動した!わ~やった~!みたいなのはやっぱり一緒にいないとわからないから。

松井
江口さんの本名は「真希さん」ですが、ほとんどの人に「のりおちゃん」とニックネームで呼ばれていますよね。ニックネームが「のりお」になったのは中学校の頃ですか。
江口
「のりお」に命名されたのは高校かな。
松井
私が初めて会ったときの自己紹介でも「のりおです」だったし、もうアイデンティティは「のりお」ですよね。
江口
恥ずかしいねんけど、最初から言っておかないと、後からもっと恥ずかしくなるから(笑)
だから、これから活動を始める人達、名前は大事やなと思う。自分がしっくりくる、恥ずかしくなく言える名前っていうか。「はんこスタンプアーティスト、シャルルド・ぺ~」(笑)みたいなんやったら、自分で言いにくいし、のりおは人からつけてもらった名前やけど、快適な活動をしやすい。
松井
「norioはんこ」という屋号はすっと決まったんですか。
江口
そうだね、のりおって呼ばれてたし、売れはじめてから改名しようとしたこともあったけど、でもやっぱりみんなが「のりおってなんでのりおになったんですか?」って聞いてくれるから、そこで自分の生い立ちを思い出せるきっかけになるっていうか。「大阪にいて旧姓が西川だったので、(お笑い芸人の西川のりお氏から)のりおになったんです」っていうだけで過去を振り返れるから。
松井
江口さんの全部がはんこに活かされてるんですね。今は子育てしながらはんこ活動されていますが、やっぱりはんこの活動をするなかでお子さんが生まれたことは大きかったですか。
江口
うーん、自分ではあまり変わったと思っていなくても、何かしら影響はあるのかもしれないね。
子どもが生まれてすぐに歌手のエレファントカシマシさんの30周年記念の仕事(※)が来て。その時はコンディションは万全ではなかったけど、お仕事を頂けてありがたかったし、逆にあまり考えずにできたのがよかったのかもね。悩む時間もなかったというか。今しかない、5分しかないっていう感じでやってたから乗り切れたかも。
今はもっと悩む時間があるからどうしようってなるけど。お客さんとじゃない仕事は、自分しかいない仕事はいろいろ悩む方なんですよ。考えるから。ある意味エレファントカシマシさんの仕事は対面じゃなかったけど、限られた時間でしなあかんかったから助けられたかも。(※30周年記念の全国ツアー会場に設置するはんこの作成を依頼された)
松井
お子さんが生まれてすぐに!その時は、いくつ彫ったんですか。
江口
47都道府県の全部彫った。その時はデザインだけして、彫るのはレーザーカッターでやったんやけど。
あんまり、子どもが生まれたから絵が変わったとかはないけど、大切な時間が絞られたから。今はすごくありがたいよね。自分が決めた時間でお迎えまでしか働かないとかができるから。ここを見越してやってきたわけじゃないけど、今はとってもありがたいなと思っている。

– 生まれたばかりの赤ちゃんを抱えながら大きな仕事も見事こなし、「悩む暇がなくて良かった」とまで言い切れる江口さんのエネルギーと前向きさは「すごい!」の一言ですが、子育てをしながら作家として活動を続けて来られた江口さんに、働き方について聞いてみたいと思いました。
このシリーズでも多くのフリーランスでお仕事をされている方にお話を伺ってきましたが、まだまだ自分で自分の仕事を作っていくことに憧れつつも勇気が出ないという人も多いと思います。これまでずっとフリーランスの作家として活動を続けてこられた江口さんにその辺りの素朴な疑問に答えて頂きました。

松井
フリーランスって大変なことも多いと思うのですが、江口さんはフリーランスで仕事をするのが合っていると思いますか。
江口
うん、合ってる!
松井
どんなところが楽しいですか。
江口
う~ん、そうやね。やり切った感があるとことか…。
私は集団生活が苦手なんです。同じ人に毎日会うのも。すごく好きな人でも毎日毎日会わなきゃいけない時間があると…。好きな時に自分で会える方がその人を好きでいられるというか。本当はその人はすごく素敵な人やのに毎日一緒に時間を過ごすことで見えなくなったりとか。自分がフリーでいたほうがいい人間関係でいられる距離を自分で決められるっていうか。
松井
とはいえ、フリーランスの作家というと自己プロデュースも含めてすべて自分でしなきゃいけないですよね。自己プロデュースをしたりするのは苦になりませんか。
江口
好きじゃない。好きじゃないけど、頼りにする人を決めてて、夫とのりこさんの二人がいるから、困ったら相談する。
慣れは良くないから自分も変化していかなあかんと思うけど、今は子どもも小さいし、あまり不安定なのは良くないから今まで大事にしてきたものをもうちょっと続けて行こうかなって思っている。もっと子どもが大きくなればもっとチャレンジできるかもしれないけど、今は安定したい時期かなと思う。
松井
なるほど。そういう時期を自分で決められるのもフリーのいいところですよね。
今まで、自己プロデュース的な観点からお仕事の話が来てお断りしたりすることもありましたか。
江口
うん、あるある。それは夫がすごくアドバイスしてくれて。
norioはんこというブランドを大事にしていかないといけないから、お客さんが来てくれて楽しそうなところしか受けない方がいいんじゃない?って言うので、自分が行って楽しいところに行くことを大事にしてきた。
「一都市、一店舗」っていうのもずっと守って来たことで。吉祥寺だったらこことか、学芸大学だったらここ、とかで同じ街で二つ以上の店に行かないっていうのは絶対に。お客さんとお店の人の関係もあるし。
ただ、葉山に来てコロナもあって、今はそれが守れなくなっていて。今までのようにいろんなところに行けなくなったらどうするかっていうのを勉強中です。お店の人ともっと仲良くならなくちゃいけないし、地域を知らなきゃいけないのかなと思ってる。

– フリーランスだからこそライフステージにフィットする働きができ、同じことの繰り返しではない日々の変化を思い切り楽しめる。一方で、ブランドの価値を守り、作家としての活動を持続可能にするためには、自分の活動の場所や方法をシビアに判断する目も求められます。

松井
norioはんこが続いて来たのには絶対理由があるはずだと思うのですが、江口さんがこれまで長年norioはんこを続けて来られたのはどうしてだと思いますか。イベントに呼ばれても一回限りで終わる人もいるなかで、江口さんが続けて来られたことは本当にすごいことだと思うので。
江口
どうしてやろ~?!(笑)
原点に帰ると、私はすごい絵がうまいからはんこを始めたわけじゃなくて、勢いというか。自分が上手だからやってますっていう想いが一切なくて。
めっちゃ下手ですみません、お金もらってすみません、っていつも思ってるから続けてられるのかなと思う。
もっとうまい人がいるなかでこんな仕事させてもらってすみませんっていう想いがあるんだよね。
例えばデザイナーをしている夫の方が絵がうまいのに私にイラストの仕事が来てしまったりとかすることもあって、めっちゃ下手やのに~!って思いながらやってるから、お客さんにもやっぱり低姿勢になるんだよね。
心の底から下手ですみませんっていう想いが伝わってるから続けてこられてる部分もあるんかなって思う。常に下手やと思ってるから謙虚な姿勢になっちゃってるのもあるかな(笑)
松井
前に江口さんがいつも呼んでもらえる場所に「ありがとう」っていう気持ちで行ってるって言ってたのを覚えているんですが、それも同じところに通じるんでしょうか。
江口
年齢が上がるとそこが難しくなってくるから、それは常に忘れないようにしようと思ってる。だから下手なのは絶対忘れんなよって自分で思ってる。ホンマに下手やねん。なのにこんなに頼んでくれて。
最初は母にもめちゃめちゃ言われて。「こんなはんこをひと様に!こんな絵で!大丈夫?」って心配だったんだろうね。これでお金もらえないんじゃないかなと思ってたと思うんだけど。やっぱり本当に身内だったらそう思うんだろうなと思って。お客さんやとお金払って来てくれるからそんなことは言われへんけど、それはずっと覚えてる。下手や下手やっていうのを思ってる。
松井
それってすごいですよね。スパイラルを満員にして何十人も並んだら、私めっちゃいけてるかもって普通思うんじゃないかなと思うんですが。
江口
あはは、その時は思ってたよ(笑)もうそれはそれは。その時はね!でもそれは違うっていうことはいつも覚えてないといけないよね。
松井
江口さんがこれからステップアップするために、今課題だなと思っていることや変えていきたいなと思ってることはありますか。
江口
そうですね。はんこを彫っていたゴム板がなくなったんですよ。生産終了でもう買えないんです。自分がずっと買ってきたものが使い切りであの2~3年の命というか。仕様が変わって使えなくなってしまったので、これを探す旅に出たい。
たぶんベトナムとかはんこ文化のあるところでは、必ず何かに彫ってるはずやから。木なのか石なのかゴムなのかわからへんけど、それをゆっくり子どもも大きくなった段階で、素材探しの旅に出たい。そうする中で変化していくんかな。
松井
はい。
江口
だからゴムがなくなることも残念やけど、海の漂流物とかでいろいろ探してみたり、ビーサンに彫れないかなとか。
大学卒業後にインドに行きたいって思ったように、もう一回どっかに行って何かを探したい。
何かを見たいって思っていけば何か変わるかなと。それで、おばあちゃんになってもやっていけるように、大事に作る感じで方向性でやっていきたいと思ってます。
松井
では、最後にはんこを彫るどんなところが自分に合ってると思いますか。
どんなときにこの仕事をしていて良かったって思いますか。
江口
そうやな~。みんな作ってる人はそう答える人が多いかもしれないけど、目の前ではんこを彫って押して開いたとき、人が「うぁ~!!」って言ってくれるのを目の前で見られるのは、それがオンラインであっても、できたてのほやほやを見てもらえるのが作り手としては一番ありがたい。
登山でいったら頂上登ったぞ!っていうのが毎回ある。
喜びの声を浴びて。喜んでくれて。
松井
そうですよね。これからもやはり対面でやっていきたいですか。
江口
うん、感動した!わ~やった~!みたいなのはやっぱり一緒にいないとわからないから。作って送るだけっていうのは全然違うなと思ってるから、対面は守っていきたい。おばあちゃんになってはんこ彫りに来てくれたらめっちゃ嬉しいやろうな。

– お客さんの「うぁ~!」という完成と笑顔、頂上に登ったぞという達成感!それこそが江口さんの活動の原動力なのでしょう。私も末永くはんこを彫り続けて欲しいと願うファンのひとりです。おばあちゃんになった江口さんのはんこをおばあちゃんになった自分が受け取る日を楽しみにアトリエを後にしました。

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この記事に登場の作り手

ポートフォリオ

norioはんこ 江口真希
京都精華大学の日本画学科を卒業後、はんこ作家としてデビュー。
以来日本全国各地ではんこオーダー会を開催。
これまでに彫ったはんこの数は2万個以上。
対面でお客さんの要望を聞きながら目の前でその人だけのはんこを彫り上げていくスタイルにはファンが多い。
生活の拠点を東京から葉山に移した近年では、これまでの活動に加えてオンラインでもはんこオーダー会を開催し、雑誌などの様々なメディアでも取り上げられるなど、活動の幅をさらに広げる。

https://www.instagram.com/noriohanko/

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