2その人のことを聞いて、その人の欲しいものを作るという目標ができた。
- 松井
- そうやってある日ひらめいて始めたはんこがヒットしたんですね!
- 江口
- はい。最初は1000円ぐらいでひとつのマーク。今みたいにごちゃごちゃしてなくて、ひとつだけっていうので、パンだったらパン、糸だったら糸、って言う感じでやってました。
予約も取らずに座って彫ってたら、目新しかったのかみんな並んでくれて。「最後尾ここ」のプラカードまで付いて。
今よりはんこ作家も少ないし、「その場ではんこをつくるなんて!?」みたいに言ってもらって。
私も誰のために描いたかわからない絵よりは、その人のことを聞いてその人の欲しいものを作るっていう目標ができた。
似顔絵とかでも良かったのかもしれないけど、はんこはその(作った)後もある。
その人が使ってくれて、宣伝してくれたり、利用してもらえる道具やったのが自分にしっくりきました。
日本画でもなかったし、インテリアの絵でもなかったけど、はんこだったら意味があるような気がして。
続けていけるとかは思わなかったけど、30人ぐらい並んですごくみんなも手伝ってくれて、その時はブームだった。5年ぐらいブームが続いたけど、それではんこをやることになりました。
– 私は自分の苦手なことを認めるのがとても苦痛です(みんなそうなのかな)。
できれば何でもさらっと上手にできたくて、「なんで私はあれもこれも上手にできないんだろう~!」と自分に対してネガティブな気持ちで向き合ってきました。
でも、自分の苦手を認めることが、自分の得意なことに出会う入口になるのだとしたら…。
「何を描いたら良いのかわからない」と悩んでいた江口さんが、どこかの誰かではなく、目の前にいるその人のために作るはんこに出会えたように、苦手の裏にはたくさんの可能性が広がっているのだと思うと、とたんに自分の「苦手」も愛すべきものに思えてきます。
- 松井
- その頃はどんなお客さんが多かったですか。
- 江口
- 自然素材で優しいものが好きというような…イベントをさせていただいていたお店(私の部屋)のお客さんたち、器が好きな人だったと思います。今はいろんな場所でやっているけど、あの時は同じものが好きな人が集まっていた気がしますね。
- 松井
- そこからどうやって場所やお客さんの層を広げていったんですか。
- 江口
- お店で開催しているイベントに列ができてるもんだから、三越の人が見つけてくれて。次に百貨店でやることになったんですよ。
それで、百貨店でやるようになったら年齢層も客層も広がって、おばあちゃんも来てくれたり。
三越の銀座店や日本橋店でやったときも、最後尾にプラカードが立つわけですよ!そしたらもう、これは仕事になるかもっていう感じになってくるわけですよ!(笑)
売り上げも良かったし、昔は今みたいに時間かけてなくてモチーフも多くないから、一人15分とか20分だったんだよね。
- 松井
- お~!それで、どんどん回転良くしていくスタイルですね。
- 江口
- そう、それで予約もたくさん取って。
若いし、徹夜もOKという感じでみなぎっておったんです!(笑)
稼ぐことも楽しかったし、今考えたら、今はもうあれはできへんかなと思うけど。

- 松井
- 毎日いろんなところに呼ばれて行って彫ることになったんですね。
- 江口
- うん、三越も全国にあるから四国行ったり、九州行ったり、分刻みのスケジュールでどんどん仕事も入り、表参道のスパイラルマーケットでやらせていただいたときは売り上げもピークで、もう、これ私家建つんちゃうかなって(笑)ウハウハやったな…という時もあった。今は違うよ。
初期費用の話をすると、そんなに道具代がかからなかったし。食品じゃないからロスが出ないのもあるし、スペースも狭くてできるし、長期決戦じゃないのと、すべてが自分のペースにぴったり合ってました。
- 松井
- やっぱり子供の時から一番早く描いた絵が上手だったのとぴったり合ってたんですね。
- 江口
- そうそう、絵(はんこの下絵)も3枚ぐらい描くんやけど、やっぱり最初に描いたのが選ばれることが多かったり、そのフレッシュなうちに作るっていうのが楽しかった。
– カバンにはんこの道具を携えて元気いっぱいに全国を飛び回る江口さんとお客さんの笑顔が目に浮かびます。
日本画やインテリアの絵を経て、自分にフィットするはんこに出会えた江口さん、どんなに刺激的で充実した日々だったでしょう!
そんな江口さんの大活躍の裏には、頼りにできる先輩の存在がありました。
- 松井
- 今売上の話が出ましたが、はんこの値段はどうやって決めましたか。なかなか自分の作品に値段をつけるのは難しいと思うんですが。
- 江口
- 難しかったなあ~。その時、師匠のように慕ってた学芸大学のパン屋さんの人がいて、のりこさんって言うんだけど、その人がいろいろ教えてくれて。安過ぎたらダメ、でも高すぎて自分ができなくなるのもダメって言われて。最初はひとつ2,000円とか3,000円だった。で、小さいのが1,500円とかで。
その人がどうしたらいいかっていうのをずっとアドバイスをくれて。
頼れる先輩がいたおかげが大きいですね。
その人もスタイリストをやってきたけど今はパン屋さんっていう人で、いろんな経験をしてきたお姉さんというか。その人に相談しながらいろんなこと決めたり、しばらくしたら「のりおちゃん、そろそろ値段上げた方がいい」って言われて。商売だからって。
- 松井
- はい。
- 江口
- 最初は「私の部屋」で働きながらはんこをやっていたけど、途中から、私ははんこで食べていくわって仕事を辞めて、東京の学芸大学で今の夫と暮らすことになって。
自由に動けるし、どこにでも行きやすいし、飛行機にも乗れるし、楽しかったよな。
– これまでシリーズでは、多くの才能に溢れ、その道で努力し続けて来られた方々にお話を伺ってきましたが、その中で、皆さんそれぞれに自分に良い影響を与えてくれるアドバイザーと出会い、その方とのご縁をとても大切に活動されていることが印象に残っています。
フリーランスの作家としてひとりで頑張って来られた皆さんが、「あの方のおかげでこれまでやって来られたんです」と感謝の気持ちを口にされることに毎回感銘を受けてきました。
江口さんものりこさんというシビアな目でアドバイスをもらえる先輩との出会いとつながりが羅針盤となって、自由に飛び回ってはんこの世界を広げていくことができたのでしょう。
- 松井
- どんどん活躍の場が広がったということですが、はんこを彫る場所は自分で営業したんですか。
- 江口
- いえ、大宮(私の部屋大宮店でのオーダー会)を見た人が三越、三越でイベントをしたらそれを見た人がスパイラルで、スパイラルで見た人がって言う風に広がっていきました。一個だけ自分が出たかったところにお願いしたっていうのはあるけど、あとはお声をかけてもらったところにしか行かへんっていう、あぐらをかいた状態で(笑)
- 松井
- いやいや、そうやって繋がるのがすごいですね。
- 江口
- あと、宣伝はお客さんがしてくれているのが今も大きくて。使ってくれていることで広がっていくというか、「そのはんこどうしたんですか」って言ってくれるから、なんとかやって来られたんだろうと。だからお客さんのおかげで。
- 松井
- やればやるほど、自分がやっていけるっていう感覚はその時に得られたんですね。
- 江口
- うん、そうそうそう。自分はいろんなとこに行くのが好きやったし、自分でお店を構えるよりはいろんな土地に行けるのが楽しくて。行ったら休憩時間にその土地の人に聞いて、ここのお店がおいしいですよって聞いたら走って行って並んで食べたりとか。
– 頼れる先輩と、お客さんとのご縁を大切に、日本全国を飛び回って活動の幅をどんどん広げる江口さん。
次回はお客さんと一対一でじっくり話を聞きながら彫るnorioはんこのスタイルについて、そして江口さんがはんこを彫るときの秘密について伺います。
(つづく)