3一発勝負やな(笑)最初の5分が勝負。
- 松井
- 最初は一つのはんこに一個のモチーフだったということですが、今のはんこは複数のモチーフを組み合わせて彫っていますね。
- 江口
- そうですね。(はんこ作品の)ファイルを見たお客さんが「じゃあ、これとこれ組み合わせてできますか」って言ってくれて、「たぶんできると思います」っていうところからご要望に応じて彫るようになりました。
- 松井
- そうやって自然に技術が向上していったんですね。
- 江口
- それで時間もかかるようになって、年齢も上がってたくさんは作れなくなってきたから、33歳ぐらいの頃かな、大事に作って行こうと思って。これからは息が長くできることをやって行こうと。
そんなにたくさんは稼げなくても一個がすごく気合い入ったものというとあれだけど、量産タイプでいろんな人と出会うというよりは、値段を上げてでももうちょっと大事にしていかないと続かんなって自分で思って。そこで一回また値段を上げて、時間も10分伸ばして、納得いくまでしゃべれる時間に増やした。20分から30分、30分から40分って。今はもう1時間になりかけてるんやけど(笑)

― 私も江口さんにはんこを作って頂いたときには、やり取りが楽しかったし、自分が話したことがぱっとはんこになってくることがすごいって思ったのですが、じっくり話を聞いてもらえるのを楽しみにしてる人も多いんだろうなって思います。
- 江口
- なんかね、カウンセリング要素があるというか、はんこを作るに当たって(お客さんが)自分のことをちょっと話さなきゃいけないことがあるんだよね。なんでそのパン屋さんになったのかとか、屋号はなんでこれにしたのかとか、わりと自分が思いがけずしゃべる時間って大切なんだなって気づいて、そこは削ってはいけないし、自分も細かいのをちゃんと作りたいから、値段も時間も徐々に上げていった感じかな。
- 松井
- それでじっくり話を聞きながら作るスタイルに落ち着いたんですね。
- 江口
- 昔は15分か20分で、モチーフも1個やし。問答みたいな。
じっくりができなかったっていうのもあるけど、その時は自分もそのペースで勉強させてもらってたというか。だから昔のはんこをすごく大事そうに持ってきてくれるお客さんがいるんだけど、本当に申し訳ありません!みたいな。今見たらお恥ずかしい、みんなありがとうって。
― お客さんの要望に応えたい気持ちから、お客さんひとりにかける時間を増やしていったということですが、江口さんのオーダー会での様子を見ていると、お客さんのお話を聞いている時間が、はんこを彫っている時間より長い事に驚きます。カウンセリングのように江口さんと楽しくおしゃべりしているうちに気づけば目の前に大満足のはんこができ上がるのは、まさにnorioマジック!
- 松井
- 江口さんがすごいと思うのは、初めて会う人とも深い話ができるし相手にも心を開いてもらえるし。江口さんの人間性はもちろんあると思いますが、お客さんと話すときに特に心がけたりしてることはありますか。
- 江口
- やっぱり人同士やから、会った瞬間にぱっと話が合うこともあれば、なかなか合わないこともある。
でも自分の過去の体験を思い出して、中学校のときしんどかったことも含まれてるかもしれないけど、なんとか頑張ってすり合わせてお互いにできたっていう経験があるから、今回も何とか乗り越えられるぞって思う。
それに、やっぱりお客さんもはんこを作るって言う意識で来てくれていて、ただしゃべるだけじゃなくて作り出さなあかんからっていう気合も向こうも持ってきてくれてるから、すごい話が合ってるように見えるけど、お互いの歩み寄りがあるのかな。目標があるから。
それから、不思議なことに、その時のことを何にも覚えてないの。
お客さんと作ったこととか話したことは一切残らないというか川の様に流れていくというか。良いことも悪いことも、次のお客さんに切り替わった瞬間にスイッチされるっていうか、そういうボタンがあるんだね、たぶん。私ははんこを彫る人って言う役目があるから、スイッチ押さないと次の人にいけないって言うか。「できた!」っていう爽快感があるから続けて来られたんやと思う。その時間をすべてはんこに詰め込んで、ゴールも見えて「できた!押した!開いた!」みたいな、その工程もあって良かったんかなと思って。
だからその人のことは覚えてるけど、話したことは覚えてないというか。良い意味でよ。たぶんその時のお客さんの気持ちもあるかもしれないけど、リピーターの人が多いことにめっちゃ感謝しており、何回も、何十個も作っている人がいてくれるから今成り立っているっていうか。
- 松井
- リピートされるってすごいことですよね。
- 江口
- ありがたいよね。お客さんとの生存確認みたいなね(笑)引っ越したとか結婚したとか子どもが生まれたとかを共有してきた人もすごくたくさんいて。家を建てたら、じゃあ家のはんことか、その人のターニングポイント的なときにいさせてもらうことも多いかな。
- 松井
- それに、リピートがお客さんだけじゃなくて、例えば今も「私の部屋大宮店」でイベントをしている。それもすごいことだなと思って。その場から呼ばれるって。
- 江口
- 同じところにいられるっていうのもありがたい。お客さんにしたら安心するのかな。
あの人15年前も居たなって言う人が同じところに座ってるっていうのも良いのかなって。自分がお客さんでもそう思うかなって。
― カフェで初めて会った日に隣の席に座っていた私に笑顔で気さくに話しかけてきてくれた江口さん。その後再会した時にも明るく声をかけてくれて、あっという間に距離が縮まりました。
これは人見知りで心を開くのに時間がかかる私にはまるで奇跡のようで、私は何度も江口さんの積極性と懐の深さに助けられてきましたが、これまでの様々な経験が江口さんの豊かな人間性を育んだのではないかと思います。
そんな江口さんの包み込むような温かさと明るさによって、お客さんは自然に心を開いて自分のことを話すことができ、はんこを作るという目標に向かって一緒にゴールを目指すことができる。そうやって味わい深く特別なはんこができあがる。リピートしてくれるお客さんが多いというのも納得です。みんなはんこが欲しいというだけではなく、江口さんと一緒にはんこを作る時間が楽しくて何度もオーダー会に足を運びたくなってしまうのかもしれません。
それにしてもお客さんとの共同作業を常にリードし、たわいもないやり取りの中からはんこのヒントを引き出して形にする、江口さんの労力たるや…。すべての時間をはんこに詰め込んで終わったら話したことはすっきり忘れてしまうという江口さん。お客さんと話している時の頭の中では一体何が起こっているのでしょうか。
- 松井
- これまで何回かはんこ作って頂いた時、私もふわっとしたイメージしかなかったのに、それを見事に形にしてもらえて感動したんですが、それってどこから湧き上がってくるんでしょうか。
- 江口
- う~ん、その人が着てる服やったり、(服の)Vの形とか顔の形とか、その人の丸さとかとがり方とかも潜在的にヒントになっていて。その人の近くに見えてるもの、例えば目の前に草が一本ぴゅーって生えているのがヒントになったりとか。偶然にその時に見えてたものと、その人の体のパーツというか服の色とかカバンにあった模様とかアクセサリーの形とかもヒントになってる。その人が好きで選んでるわけやから、きっとヒントがあるかなと。
- 松井
- それを40分でやるのが神業ですね!
- 江口
- 一発勝負やな(笑)最初の5分が勝負というか、会ってすぐぱって見て「あ!」って。
- 松井
- ―その5分は何を見てるんですか?
- 江口
- その人の形かな。姿を視覚で見てるんかも。
昔は気付いてなかったけど、今はそうかなって思う。
例えばお客さんが、隣にいる友達に「あなたってこういう人だよね」って言われたときの表情とかリアクションをすごい見てる。その人は嬉しいのかなとか、嫌だったのかなとかそうじゃないって思ってるのかなとか。すごいそこがポイントで。だけどそれは横で空気で感じとるっていうか。合ってるかはわからんよ。かなり勝手な主観やから。その結果満足してくれたかどうかはまた別の話になるかもしれんけど、そのやり取りは楽しいよね。丸にする?草にする?とか。
- 松井
- じゃあ、例えば丸にする?って言ったときのお客さんの表情も?
- 江口
- うん。違うって思ったときはばっとその紙を捨てて(笑)
― さすがプロの技!まるで高級旅館の女将のような気遣いとおもてなしの心、背筋がぴんと伸びる思いがしました。
江口さんはお客さんの要望を受けて作ったデザインを彫刻刀一本でゴム板に彫り上げます。
そしてそこにペンやインクでなんとも言えない色合いでカラーリングを施し、紙の上に押して、開く…。
うわぁ!とお客さんから歓声があがるクライマックスの瞬間です。
- 松井
- 江口さんの作品って、色も特徴的だと思うんですが、絵を描いてる段階で色はどうしようというイメージは浮かんでるのでしょうか。
- 江口
- ううん、全然。その時は何も考えてなくて。できた後に。おそらく自分のベーシックカラーみたいなのは何種類かあって、その人のイメージで押すんだけど、あんまり色に関しては決まりがなくて、その時にある色でやろうと思って。でも色は楽しいよね、やっぱりつけるのは
- 松井
- ゴム板にインクの色を塗ってもらっている時、紙に押してもらうまで出来上がりがイメージできないのにたくさんの色を塗ってくれてることがすごいなあ、っていつも思っています。
- 江口
- マジックです、マジック(笑)みんなそこでわぁーって言ってくれるけど、色に関しては計画してやってるわけではなかったりして。色ははんこは重ねるので塗ってる色よりワントーン低くでるからそこが日本画っぽいって言われたりとか。
― その時にある色で出来上がりまで想像して一気に仕上げるって…、私には想像もできない世界ですが、色のことを話す江口さんはとっても楽しそうです。
- 江口
- 色は好きだったんだよね。インドに行く前、将来何になろうって考えたときに、色を使う仕事はやりたいなってちらっとは思っていたと思う。うちの祖母がめちゃめちゃ服にうるさい人で、大人になってからも帰るたびにこの色にはこっちの配色の方がいいとか言ってくれる。毎年その年の流行色を教えてくれるの。93歳で週1回の病院に行くためにおしゃれして。だからルーツがそこにあるかもしれないなあ。
― 今回は江口さんのはんこ作りの秘密にたっぷり迫りました。
最終回となる次回は、江口さんにフリーランスの作家として活動することについて、そして活動を続けるために考えてきたことや努力してきたこと、そしてこれからの活動の目標などについて伺います。
(つづく)